奈良で「心と体の余白」がテーマのイベントに参加しました!

こんにちは!! ビィーゴイベントディレクターのながはらです。

「面白いイベントを企画するためには自分たちもお客さんとしてイベントに参加しなければ!」、ということで大阪を中心にさまざまなイベントや人が集まる場所に足を運んでいます。

今回は、奈良市のコワーキングスペースBONCHIで2024年7月26日(金)に開かれたイベント「LIFE PICNIC 〜「生きる」をめぐる、ぐるぐる時間〜Vol.6 心と体の余白」に参加してきました。

早速、当日の模様をレポートしたいと思います。

BONCHIってどんなところ?

会場のBONCHIは奈良市の中心部にある創業支援施設です。コワーキングスペース、レンタルスペースの他にカフェなどパブリックスペースがあります。弁護士など専門家による創業相談も受けられるそうです。近鉄奈良駅から徒歩約5分の場所で、近くには興福寺や奈良公園などの有名観光地があります。ドロップイン利用もできるので、奈良に行く機会があればぜひ訪ねてみてください。

ちなみに、この日興福寺の五重塔は工事中のため見られませんでした。でも、むしろこっちの方が貴重かも、って思いました。

イベント「LIFE PICNIC」とは?

イベントのホームページによると、LIFE PICNICは、「多様な価値観を知り、自分はどうありたいのか?どう生きたいのか?を考える連続企画」だそうです。

『「生きる」について考えるという壮大なテーマを掲げながらも、ピクニックのような楽しい雰囲気の中で、重さと軽さ、真剣さと楽しさ、学びと遊び、が混ざり合い、自分たちにとっての「当たり前の世界」を見直す機会にしていきたい』のだとか。

会場は、ピクニックという名前の通りアウトドアのような雰囲気。参加者はサンドイッチを食べながらお話を聞きました。

ビィーゴでも、スナックビィーゴやランチオフ会などのイベントを開催していますが、飲食付きのイベントはリラックスした雰囲気でいいですね。

ちなみに、私は第一回から毎回参加しています。講座の内容、コンセプトともに素晴らしかったので、できる限り参加させていただくことにしました。

過去のレポート記事もホームページに掲載しています。直近のもののリンクも付けていますので、興味のある方は本稿と併せてお読みください。

この日のテーマは、「心と体の余白」

このイベントはシリーズ企画で、毎回異なったテーマで行われます。今回は「心と体の余白」がテーマでした。

トークとグループワークの2部構成で、トーク部分はエッセイ作家・MCのしまだあやさん(写真右から2番目)がナビゲーターを務められています。

しまださんとも、すっかり、顔馴染みになったのでこちらに向かってピースサインをしてくれました。サービス精神があってとても魅力的な方です。

ゲストは美学者の伊藤亜紗さんと教育者・哲学研究者の近内悠太さん

この日のゲストは美学者の伊藤亜紗(いとうあさ)さんです。伊藤さんのプロフィールは以下の通りです。

伊藤亜紗(いとうあさ)さん
美学者
2010年に東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究美学芸術学専門分野を単位取得のうえ、退学。同年、同大学にて博士号を取得(文学)。学術振興会特別研究員をへて、2013年に東京工業大学リベラルアーツセンター准教授に着任。2016年4月より現職。主な著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社、2013年)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社、2015、年)『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版、2016年)、『どもる体』(医学書院、2018年)、『記憶する体』(春秋社。2019年)、『手の倫理』(講談社、2020年)。

なお、今回は、元々親交があったということで、前回のゲスト近内悠太さんもダブルゲストとして登壇されました。近内さんのプロフィールは以下の通りです。

近内悠太(ちかうちゆうた)さん
教育者/哲学研究者
1985年神奈川県生まれ。慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業、日本大学大学院文学研究科修士課程修了。専門はウィトゲンシュタイン哲学。リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」講師。著書『世界は贈与でできている―資本主義の「すきま」を埋める倫理学』で第29回山本七平賞 奨励賞を受賞。

会場には著書販売コーナーも

会場には、伊藤さんと近内さんの著書を販売するコーナーがありました。近内さんの本は前回買ったので、今回は、伊藤さんの「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書)「体はゆく できるを科学する」(文藝春秋)を購入しました。他の本もすごく面白そうだったので、順次読みたいと思っています。

前置きが長くなりましたが、印象に残った話を中心に当日の内容を簡単にご紹介します。

伊藤さんの研究テーマ「美学とは」

伊藤さんの専門である美学とは、「芸術的や感性的な認識について哲学的に探求する学問」だそうです。伊藤さんによると、人間の認識能力には、なぜそう判断したのか言葉で説明ができる知性と説明しにくい感性があります。

ただ、近代以降の社会において、前者が絶対視され、神聖化されたのに対し、後者は軽視されていたそうです。

伊藤さんは、人間の中に説明できないものが備わっていることに面白さを感じ、(感性的なものについて研究する)美学に興味を持ったそうです。

「注文されずに成立している」、「ただこの体で生まれてきたからそれを使っている」ことから「すべての体を肯定したいということがモチベーション」なのだとか。

ちなみに、近内さんから見た伊藤さんのイメージは、『知性こそが正当な脳の活動だとされてきたなかで、人間の感性の中にある「ある種の不具合のようなもの」を通じて、人間の新たな一面を発掘調査されている方』だそうです。

パーソナルスペースについて

伊藤さんはもちろん、近内さんも人間の体にまつわることに関心があり、普段からよく観察されています。特に印象に残ったのは、パーソナルスペースについての話題です。伊藤さんは、フィリピンに行った時に、人と人との(物理的)距離が近いと感じたそうです。

これに対して、近内さんは普段やっておられる「ある行為」についてのお話をされていました。駅のホームなどで人が並んでいる時に、近内さんが隣の人との距離を詰めると、その人は詰めた距離の分だけ離れようとする。この性質を利用すれば、他人を思い通りに動かす事ができるのだそうです。近づかれた人は、パーソナルスペースが侵されたと感じているんでしょうね。

私自身も、パーソナルスペースに関心があり、近内さんと同じような行為をしたことがあったので、あ、分かる分かる!と思いながら聞いていました(笑)。

余白とは?

本日のテーマの一つである余白についてのお話もありました。伊藤さんによると、余白とは無意識の領域も含めた活動の全体と、意識としてコントロールしている部分の差だそうです。伊藤さんは、部分によって全体が規定されてしまうことが悔しいとおっしゃっていました。

これに対し、MCのしまださんは、「ぎっしりと文字が詰まった紙には余白はないけど、それを大きな白い紙に貼ったら余白は大きくなる。余白って拡大できるのかも」とお話されていました。

近内さんにとって、余白は生活レベルで感じる余裕(例えば金銭的余裕や時間的余裕)と異なり、心のレベルで感じるもの。現実と関係のない思考に没頭できた時に、余白があって幸せだと感じるそうです。

余白をどうとらえるかは難しいですが、余白があることの素晴らしさは3人のやり取りから十分伝わってきました。

法律で人は変えられない?〜差別解消と感性からのアプローチ

差別解消と感性からのアプローチの話も印象的でした。ざっくりとまとめると、以下のような感じです。

差別をなくすための知性からのアプローチとして差別禁止法のような法律ができた。そのことは素晴らしい事だけれど、感性は変わってなくて、黒人を怖いと思っている人がいる。差別されている側はそれを認識しているので、気さくに見えるように振る舞ったり、カレッジTシャツを着たりしている。

つまり、差別のような問題を解決するためには、知性からのアプローチだけではなく、感性からのアプローチも必要だ、と。

伊藤さんは、知性的なアプローチで説得するのではなく、感性的なアプローチで誘惑することが効果的だし、大事だと思っておられるそうです。私自身「説得より誘惑」という言葉が、この日の話で一番印象に残りました。感想を書くボードを見ていても、この日のキーワードとして挙げている方が多かったです。

グループワーク〜三視点観察会

トークの後は、3名一組になって共通のワークをします。この日は、「三視点観察会」というのをやりました。具体的にはこんなことをしました。

①参加者に「あるもの」が配られる。目をつぶって視覚以外の方法でそれを観察する。3分間経ったら目を開けて、目を閉じていた時に感じたことをメモする。
②次に、目を開けた状態で「あるもの」を3分間観察。そこで感じたことをメモする。
③最後に、他の参加者と①②で感じたことを共有する。「あるもの」はグループごとに共通なので、同じものに対して他の人がどのように感じていたのかを知ることができる。

私のグループに配られた「あるもの」は、角が丸くなった四角いケースに入った半透明の白い耳せん(下の写真参照)でした。①の作業時には、100円ショップで買ってきたものであるというヒントがあり、ひだが特徴的だったので、わりと早い段階で何かがわかりました。視覚を使えないことで、触覚など他の感覚が研ぎ澄まされていく気がしました。

②の作業の際には、視覚が使えない状態とのギャップについて考えました。形については、ほぼ想像していた通りでしたが、色はもう少し派手なものを想像していました。形がなんとなくエイリアンっぽかったからかもしれません。

③の作業について私のチームは、ほぼ同じような反応でした。ただ、「あるもの」の色については、個人差があって、実物に近い半透明なものをイメージしている方もいました。

まとめ・多角的な視点の重要性を

冒頭で伊藤さんがおっしゃっていたように、私たちは、言葉で説明できる知性ばかりを重視し、説明できない感性や身体的感覚を軽視してきたように思います。この日は、それとは逆に、感性や身体的感覚を中心に物事を捉え直す経験ができました。

もし、自分が毛むくじゃらの生き物だったら・・・、もし、人間の目が3つだったら・・・。トークの際に出てくる様々な思考実験も興味深いものばかりでした。これらを通して、多角的な視点を持つことの重要性をあらためて認識させられました。

私たちは、普段の仕事や生活において、常に決断を迫られます。その際に、多角的な視点があれば、意外なブレイクスルーがあるのかもしれません。そんなことを考えさせられたイベントでした。

「LIFE PICNIC」は、今後も続く予定だそうですが、次回の内容はまだ公表されていません。興味がある方は、BONCHIのHPをご覧ください。


以上、奈良で開かれた「LIFE PICNIC 〜「生きる」をめぐる、ぐるぐる時間〜Vol.6 心と体の余白」のレポートでした!

今後の予定について

今後も、関西エリアを中心にいろんなイベントに参加し、そこで学んだことを日々の企画に活かしていきたいと思います。不定期でレポート記事も掲載しますのでお楽しみに!

この記事を書いた人
まさやん
ビィーゴのイベントディレクター兼写真部長です。大阪市生まれ枚方市育ち。地元を拠点に、全国各地のローカル&ソーシャルな活動に関わるべく、いろいろ動いています。趣味は、鉄道旅・読書・スポーツ観戦(特にラグビーが好き)。