まちと子どもの未来を創る音楽フェス「ロッチル」を主催 伊吹美里さんに聴く「オモロくて、みんながわくわくする場所づくり」【ビィーゴ会員様インタビュー】
第22回目となるビィーゴインタビュー。今回はまちと子どもの未来を創る音楽フェス「ロッチル」を主催している 伊吹美里さんにインタビュー!!
伊吹さんは、2017年よりまちと子どもの未来を創る音楽フェス「ロッチル」を主催。服部緑地野外音楽堂からスタートしたロッチルは年々順調に来場者が増えてきたため、昨年からはひらかたパークで開催。矢井田瞳や、ミラクルひかるなど、バラエティに富んだ出演者を集め、フェスは大盛況。ひらパーで毎年開催することが決定したりと、いま勢いに乗っています。
そんな伊吹さんが、どうして”まちと子どもの未来を創る音楽フェス“を始めたのか?
その元気一杯なバイタリティの源を知るべく色々と聞いて参りましたので、是非最後までお読みください!
伊吹 美里
株式会社RFC 代表取締役
まちと子どもの未来を創る音楽フェス「ロッチル」主催
一児(ムスメ)の母と会社の代表と、音楽フェス主催と、やりたいコトをやりまくって笑いまくって生きている、イブキングです♪
みんなが住んでいるまちに、働いているまちに会社に、ワクワクする「コト」を創り、ワクワクが伝染する社会を創ることをMissionに、コトづくりプロデューサーとしてまちから世界を変革したいと思っています!
<インタビュアー>:アサカワ ミト(ビィーゴ コミュニティマネージャー)
去年の秋に、ひらパーで開催された「ロッチル2023」観させていただきました。出演者も含めてユニークなフェスになってて、大人も子供も一緒になってフェスを盛り上げているのが伝わってきて、良い雰囲気だなぁと感じました。ちなみにボクはモノマネ芸人のミラクルひかるさんの回を観ました。
あれ、凄かったですよね。ミラクルひかるさんが途中、虫取り網を出して客席を練り歩くと、お客さんがお菓子とかお金をどんどん入れられて、しかもみんな後ろに付いて行くから、パレードみたいになっちゃって(笑)
網はパンパンだし、なかなかのカオスでした(笑)今日はそんな愉快なフェス「ロッチル」を主催されている方にお話が聞けるということで、とても楽しみにしていました。どうぞ、よろしくお願いします。早速なんですが、今どんなお仕事をされているかを含めて自己紹介をお願いいたします。
ひとつ「これ」、とは言えない肩書き
よろしくお願いします。自己紹介・・・私これいつもめちゃくちゃ悩むんですよ(笑) 自分にはひとつのこれっていう肩書きがないなと思っているんですけど、、、頑張って順を追って話しますね。
最初は「子供の未来のクリエイター」っていうキャッチコピーで始めたんですけど、そのうち「子供の未来だけを作ってるんちゃうしなぁ…」とか色々と思い始めて。だから今は「何の仕事してますか?」って聞かれたら、「イベント企画制作」か「街の広告代理店」とか。そんな感じで回答させていただいてます。
面白いですね。具体的にはどんなことを?
「子供の未来のクリエイター」については、一番最初、エンターテイメント×エデュケーションの事業を作ろうっていう話から始まりました。
以前から知り合いだった当時建設業の社長がいて、その方がエネルギー事業をされていたんですけど、エネルギーとエンターテイメントとエデュケーションで街を作るっていう理念で起業された社長さんなんですね。話を聞いて何かピンときて。エンタメ×エデュケーションで何ができるかを考えていくうち、子供の未来を創る音楽フェスをやろうっていうところに至りました。
それで2017年にそのための会社を立ち上げ、音楽フェス「ROCKS FORCHILE(ロックスフォーチル)2017」を開催しました。
まずは会社を立ち上げるところからスタートしたんですか!
そうなんです。今は私が社長なんですけど、その時は一社員としての入社でした。
その社長さんは、なんで”エンタメ×エデュケーション”に着目したんですか?
「今の日本の教育って面白くないよね」っていう、そこからですね。エンタメの中にエデュケーションがある。エデュケーションの中にエンタメがある。教育の中にエンタメ性は絶対必要やし、エンタメの中に教育的要素があれば、すごく興味を持って励んでもらえる。これってどっちも必要なことだよね、という未来に向けての着想からですね。
それはすごく共感しますね。僕が学生時代に好きになった科目って、結局その先生がとにかく楽しそうに授業するんですよ。授業しながら「そっかそっか」って自分で納得したりしていて、こっちも楽しく感じるんですよね。
やっぱ楽しくないとですよね。
では「街の広告代理店」というのは?
ロッチルが結構大きなイベントになってきて、作るにあたって、全体の設計、プロデュースをしていくんですけど、これって広告代理店だよねって思ったんです。
集客のための設計、プランニングから始めて、映像を作るっていうところから、イベント企画、運営、制作まで全部、実行委員会みんなの力を合わせてやっています。この「みんなが力を合わせれば出来るよね」っていう経験から、街の人たちのサポートができるんじゃないかなと思うようになりました。
街の人たちって、何かするときにどこに頼んでいいかわからへんっていうのがほとんどやと思うんですよ。しかもwebとかチラシとか、全部を連携して出来ているところとなると本当に少ない。
なのでロッチルの経験を活かして、街の中小企業さんのサポートができたらと思って、それで街の広告代理店的な活動もやっております。
なるほど!確かに共通点が多そうですね。
夢を語る、頑張る姿を見せるのは恥ずかしいと思っていた。
今のお仕事に至るまでの経緯や職歴を教えてください。ターニングポイントなどがあったら。
大学のときに、「資生堂の広告戦略」っていう卒論を書いたんですよ。お化粧を通して、自分自身の内面も変えて、それが未来を変えてくれるって学生時代に思ってたんです。だから化粧品業界か広告業界で働きたいなと思ってたんです。
結局、資生堂は最終選考で落ちちゃったんですけど、それやったら他の化粧品会社っていうよりは、今からIT系の時代やし、そっちに行こうって。私の世代は、ホリエモンバブルとか楽天が球団作って目立ってた時代やったんで「これからはIT系や!」みたいな感じで、もうIT系はバブってました(笑)
おお、そうなんですね。
それでホームページの制作運用関連で、中小企業さんの支援をする会社に入社しました。上場企業だったので、もうゴリゴリゴリゴリ働いて。とにかく仕事で成果を上げる、売り上げを作る。みたいなことを若い頃はずっとしていました。
「街の広告代理店」はその頃の経験も役立ってそうですね。
そうですね。その後東京で一度転職をして、それもIT系だったんですけど。で、大阪の人との遠距離恋愛を経て、結婚を機に大阪に帰りました。
それでまた転職するんですが、やっぱり最初に興味のあった化粧品会社で働きたいと思って、ITとは全然違うのでイチからやったんですけど、化粧品会社で働くことになったんです。
化粧品会社で働けたんですね。
そうなんです。その後子供が生まれるまではバリバリ働いて頑張ってたんですけど、子供が生まれると思うように働く時間を確保できなくなったんです。そこで選択したのが、睡眠時間を削って今までのパフォーマンスを出すってこと。
でも、そんなことをしてると疲れてくるじゃないですか。
何のために働いてんねんやろうって思うようになって・・・。
そこで行き詰まったんですね。
自問自答を繰り返して、めちゃくちゃ自分を深掘りしてみたんです。
それまで私の価値観って、めちゃくちゃ仕事に時間費やして結果を上げることが自分の承認欲求を満たすことやったんです。なんでそんなマインドになったかっていうと、、、
うちは実家が三味線とか民謡の師範のおうちで、音楽が当たり前にある家庭やって。歌のコンクールとかに出たら優勝もしてたので、「私って歌うまいんや」って思ってました。それである日思い切って「私、歌手になりたいねん」って両親の前で、勇気を振り絞って言ったんですね。
そしたら、めちゃくちゃ爆笑されて!
そこからやりたいこととか、夢は言うたら恥ずかしいっていうマインドになってしまったんです。
うわー、親の何気ない些細な言葉って、変に記憶にこびり付いたりしますもんね。
親としては、軽い感じで言ったんでしょうけど、私からしたらやりたいことを蓋してしまうぐらいのショックな出来事でした。
だからそれからは「頑張る姿を見せるのは恥ずかしい」「夢持ってるやつはダサい」そんなマインドになって、「頑張ってへんけど認められる自分」みたいなのを演出したくなったんです。それでめっちゃ時間を使って、仕事をしまくって、対価としてお金をもらい世の中に認めてもらう。自分ってそうやったんやなって気づいたんです。
それに気づいたときにはもう、大号泣でした。
そのマインドに囚われていた自分に気づけたんですね。
ですね。だから自分の子供には、夢とかやりたいことはめっちゃ応援してあげたいと思って。それを見つけられる土台だったり、夢を応援してあげられる場所を用意する事業にどんどん力を入れていきたいなと思ったんです。
エンタメ×エデュケーション事業をお誘いいただいたとき、そこにピンときたんだと思います。思い返すと、イベントでしてることって、自分のそのトラウマを解消するためのコンテンツを盛り込んでるなぁって、後で気づきましたね(笑)
いち社員から、代表取締役に。
伊吹さんは、どうしてその社長さんに誘われたんですか?
実は新卒で働いていたIT会社のときの上司なんです。
化粧品会社時代は寝ずに働いて、結局転職を考え始めたんですけど、子供がちっちゃいともう転職ってほんまに難しくて。結構悩んでいたときに、その方からお誘いをいただいたんです。
そうだったんですね。
化粧品会社で働いてたとき、新商品でも売れへんかったら廃棄するとか、そこに矛盾は感じながら働いてたんですよ。
そんな時にエネルギー×エンタメ×エデュケーションの話を聞いて。その方はめちゃくちゃ早い時期から、これからは再生可能エネルギーやって言ってたんです。その頃日本はまだSDGsが全然浸透してないときやったんで、結構衝撃を受けて。持続可能な社会って絶対これから来るやろうなと思って、それでお引き受けしたんです。
何か私のモヤモヤしていることも事業として消化できるかもしれないって思って。
バチッとハマった感じがしたんですね。
はい。そんなこんなで準備をしていたんですが、そしたらコロナで緊急事態宣言になって。建設会社の方が大負債を抱えることになったんです。
エンタメ×エデュケーション事業の方をしていた株式会社RFCはまだまだ赤字事業だったんで、代表から撤退したいって言われてしまいました。
でも私はどうしてもこの事業をやりたかったので、事業譲渡していただいて独立をしたんです。
それで代表取締役になったんですか!波乱万丈ですね。コロナだったんじゃあフェスなんて出来なかったですよね。
もうフェスどころか、音楽アーティストの人たちの活動が全てが止まったんです。そのときは確かMINMIさんとか、HYさんとか、矢井田瞳さんとか。結構面白いメンバーが集まったんですが、その方々も皆さん仕事をストップ。なので中止ではなく、延期というカタチにして皆さんのスケジュールを再調整しました。
でもずっと緊急事態宣言やし、どうしようかなとも思ったんですけど、やるって決めて、やりきったっていうのが2020年の11月でした。
それだけの名の知れたアーティストが協力してくれたなんて、感動ですね。ロッチルをする上で大切にしていることを教えてください。
とにかく喜んでもらうこと!お客さんだけじゃなくて、関わってる人みんなが喜んでくれて、わくわくしてもらうっていうのを一番大事にしてますし、自分がわくわくを感じられることだけをしていきたいなと思ってやってます。
それってシンプルですけど、本当に大事ですよね。ちなみにお子さんは今おいくつですか。
子供は小3で、もうすぐ9歳です。
やっぱりその頃の子供がお母さんのわくわくしてる姿を見るっていうのはすごく大事だなって思うんです。大人がはしゃぐ背中を子供が見てると、子供たちも絶対活き活きすると思いますし、それってフェスの空気感にも伝わりますよね。
ですね。あとは、オモロイもめっちゃ大事にしています。
ロッチル、確かに笑いが絶えず面白かったです(笑)
社会課題の解決も大事にしてるんですけど、それを重たくやりたくなくて。オモロくやりたいんです。
ロッチルのスカッと面白いところがいいですよね! 余談なんですけど、この前テレビで「GTOリバイバル」を見たときに、今欠けているスカッとする面白さがあったんですよ。
ああ、気持ちいいですよね。鬼塚。第一話でいきなり家の壁をぶち破ってたりするし(笑)
ノリと勢いですよね。時には無茶苦茶でも、それぐらいの気持ちよさが人には必要だと思います。その点ではロッチルはホント、気持ちのいい面白さがありました(笑)
そういう、オモロイはホント大事にしてますね。
HYさんが見つけてくれた目指す方向。
これだけの規模のイベントをしていたら、色々と印象に残るエピソードがあると思うんですが、教えていただけますか?
2019年にHYさんが出てくださったときなんですが、、、
沖縄出身なんで、海を綺麗にしようっていう活動もしてらっしゃるので、缶やペットボトルとかの廃材を使って楽器を作ろうっていうワークショップをやってくださったんです。それで作った楽器を持って子供たちみんながステージに上がって、HYさんと大セッションしたんですね。
その光景が自分の中で刺さりまくって。そのときに何か子供の未来を作るってこういうことなのかもしれへんってすごく思って。社会課題を楽しく解決できて、なおかつ子供たちがステージに一流のアーティストと立てるって、学芸会では出来ない、ロッチルだから出来る形のひとつかなって思いました。
そこからロッチルは「一流アーティストと子供が出会う」ことをどんどんやり始めました。
すごくいいですね。アーティストさんも、実際にファンと触れるってありそうでなかなかないことだと思いますし。子供たちにとってもアーティストさんにとって、やりがいを感じるでしょうね。
この前開催した時は、子供たちが記者になって四星球(スーシンチュウ)っていう人気バンドさんをインタビューをして子供新聞を作るっていうのをやりました。
全てのアーティストには出来なかったんですが、基本的にアーティストが子供と何かワークショップをしてもらうっていうのは入れてやってます。
なので、これやなっていうのをすごく感じられたのはその2019年のHYさんとの時でしたね。
人と繋がる、そして人と遊ぶ。
伊吹さんにとって働くとは何でしょうか。
私は結構何事にも全力投球する方で、それまでは仕事って自分を満たすために働いてるっていう感覚だったんですけど、独立してから更にコロナを経て変わったのは、人を満たすとか、世の中のために何かやりたいとか、誰かのために何かやりたいっていう部分かなとは思います。
「働く」って多分、私の中では、人と繋がる、人と遊ぶ、というのがもう結構一緒になってますね。
人と繋がる、そして人と遊ぶ。
はい。みんなでめっちゃでかいパズルに挑戦してるみたいなイメージです。ここのピースをやりたいっていう人がおったら、じゃあそこやってみよ!みたいな。そうやって補い合っていく感じかなって。
そこに伊吹さんにとっての「働く」っていうスタイルが垣間見えますね。繋がって、遊んで、みんなで一緒にやろうっていう、まさにこの「ロッチル」というフェスに感じられることですよね。フェスを作るって、そういうことなのかなって思わせてくれます。ありがとうございます。
就活や自分が進むべき道について悩んでいる学生に、何か伝えることがあれば。
若いときはどんどん人と出会って、ちょっと役に立つようなことをしてみる。そうすると未来が明るくなると思うんです。
学生の頃は学業とか就活とか、で社会人になったら仕事だけやってきたけど、ちょっと勿体なかったなって今は思ってます。
学生のうちはできるだけたくさんの人と遊んで、出会いまくる。そしたら、なんか進むべき道って見えてくるんちゃうかなって。
学生時代って、自分から動かないと限られた大人としか関わらないし、出会いまくるってことをしないまま社会人になると、その後の人生の選択肢も狭くなりますよね。
できるだけかっこいい大人と出会ってほしいですね。学生時代に。かっこいい大人、わくわくできるような大人と出会ってもらう。かっこいいって思える大人と、3人ぐらい出会えたらもうハッピーになれると思いますよ(笑)
就職活動に悩んでるお母さんもなんですけど、日本はすぐに「どうせ無理だから」って諦めがちなんで、それは変わってほしいですね。
お母さんたちの「どうせ無理だからマインド」って、やっぱり強いんですか?
やっぱり女の人ってどうしても出産がありますし、育児と両立していくみたいな風潮にはなっていると思うんですけど、、、
そこを諦めないっていうところが第一歩ですね。
方法はありますから。
枚方の人みんなが知ってるイベントに育てたい
じゃあ今後の展望について教えてください。
ロッチルっていうのは、子供の未来を創る音楽フェスです。ひらかたパークさんで、毎年開催させていただくことになって嬉しく思います。
私としては、枚方みんなで文化祭しようよっていう気持ち。大人も子供も、新たにチャレンジしたいことの場所としてロッチルをやっていけたらなと思っているんです。
なので、枚方の人みんなが知ってるようなイベントに育てていきたいなと思っています。みんなでオモロイことやろうぜっていう。
それを聞くだけでわくわくします。なんなら、このインタビューで話を聞いてる間ずっとわくわくしてました(笑)
やー、嬉しい(笑)
ビィーゴもぜひ一緒に面白いことができたらなと思います。
今日はどうもありがとうございました。
編集後記・・・
今回は泣く泣くカットしたんですが、、、
ロッチルは最初、豊中市にある「服部緑地野外音楽堂」からスタートしたのですが「遊園地でやるの、面白くない?」と思って「水都くらわんか花火大会」の方からひらパーを紹介してもらい決まったという面白いエピソードも聞いていました。
色々なことを乗り越えて、なおも明るく元気にオモロイことをしている伊吹さん。
そんな伊吹さんと直接お話出来る機会が、6/21(金)にあります!
「ビィーゴオフ会!枚方で面白いことをしよう!コミュニティ大集合!」です。
枚方近隣で面白い活動をしているコミュニティが一堂に介して集まるイベントです!
面白いことをしたい方、面白いことを知りたい方はぜひご参加ください!