東京大学准教授 井口高志さんに聴く「学ぶことの意味」【ビィーゴ会員様インタビュー】
第20回目となるビィーゴインタビューですが、今回は東京大学の准教授 井口高志さんにインタビュー!!
東京大学の准教授? なぜそんな方がビィーゴに?ひょっとして、結構そこらへんにいるのか??
なんて思ってちょっと調べてみたんですが、現在東京大学で働いている准教授は約900人(教授はもっと多い約1300人)。
思った以上に多い印象ですが、とはいえ…やはりそんじょそこらにいるようなご職業の方ではありません!
それがなぜビィーゴに???(2回目…)
きっかけは、先日ビィーゴで開催された「みんなのオシゴトークVol.4 福祉のミライ」に、井口さんがご参加いただいたことがきっかけ。その時の交流タイムでは「大学教員です」とだけお聞きしたのですが、後日何気なく「どちらの大学ですか?」と聞いたところ「あ、実は東京大学なんです」と仰られてビックリ。
実は井口さん、オープン初期からビィーゴをご利用いただいておりました。そこでビィーゴを利用されている経緯や働き方のスタイルなどが気になったのでインタビューを申し込んだところ、快く引き受けてくださいました。
そんな井口さんから、ご専門の研究についてや、今の働き方について、そして知られざる大学教員のお仕事についてなどを色々と聞いて参りましたので、是非最後までお読みください。
井口 高志
社会学者・大学教員。大学院博士課程修了後、東京を離れ松本の大学で勤務。2011年に奈良県の大学への異動を機に関西に移り住む。奈良市、大阪市での居住を経て2018年から枚方市在住。同時に2018年後半から東京への遠距離通勤となり、育児をしながら主にリモートで仕事をしている。
<インタビュアー>:アサカワ ミト(ビィーゴ コミュニティマネージャー)
西野 友梨(ビィーゴ学生スタッフ)※見学として参加
専門は「社会学」
以前ビィーゴのイベントにご参加いただいた際、大学教員をしていると仰られて、後日「どこの大学ですか」と尋ねたら「東京大学です」と。ビックリしました。
そうですよね。「何で枚方にいるんだろう? キャンパスあったっけ」って思いますよね。
はい。シンプルに思いました(笑) なのでそのあたりについてもお聞きしたいなと思い、お声掛けさせていただきました。今日はどうぞよろしくお願いします。
はい。よろしくお願いします(笑)
では改めてお尋ねするんですが、今どんなお仕事をされているかを含め、自己紹介をお願いいたします。
改めまして、井口です。東京大学で働いていて、肩書きは准教授。専門は社会学をしています。この前参加したイベントにも少し繋がるんですが、私が主にやっているのは介護とか認知症とか、そういうことを対象にした研究です。
社会学、ですか。
はい。社会学といっても色々ありまして。具体的な調査を主にしている人もいれば、文献中心に哲学っぽいことをしている人もいたり、本当に色々なんですけど、私はもともと「介護」にすごく関心があって。
今日はインタビューを受けてる側なんですけど、普段は逆にインタビューをすることの方が多い仕事なんです。
あ、そうなんですね。
介護をされてる方がどんな経験をされてるのか話を聞く。まずはそんな研究をするようになりました。それから更に「認知症」に凄く関心を持つようになったので、その研究をしているというのが、いまの私の仕事になります。
なるほど。だから先日の福祉をテーマにしたイベントに参加されたんですね。
はい。ただ、大学で専門の研究ばかりやってるのかというと、そうではなくて。
例えば、社会調査のやり方、インタビューの仕方、アンケート調査の作り方とかを教える授業も行っています。あとは社会学の理論を教えたり、ゼミをしたり。日常的にはそんなことをやってますね。
ということは、介護そのものをしているわけではなく、あくまで「社会学」っていう分野の中で介護を、特に、認知症をテーマに研究をされているってことなんですね。
そうです。なので「社会学を学んだから介護ができる」っていうことでは無いんです。現場からちょっと引いたところで「介護」というものを見る。そういう研究をしています。
介護の現場が苦しいのは、いったい何でなんだろうか。例えばそういうことを「社会のシステムとの関係」で考えます。
あと、みんな認知症っていうと「介護ですか、大変ですね」って話になりがちなんですけど、最近では認知症の当事者が本を出したり、認知症の方たちが参加の中心となったイベントが展開されたりと色んな活動があるので、福祉や医療の枠を超えた活動にも関心を持っています。それが社会にとってどういう意味を持つんだろうか? など、そういうことを研究する感じですね。
つまり現場だけではなく、社会全体という観点から介護を見つめることで、世の中とどう関わりあってるのか。そういう研究をされてるっていうことなんですね。
きっかけは現場で見た「家族のなかに閉じていく空気感」。
2020年に本を出したんですけど、例えばこういったものを書いています。
私はどっちかっていうと人文社会系の学問なので、10年に1回ぐらいのペースで1冊の本にまとめていくっていうのがライフワークです。なので最終的には私の仕事は論文を書きながら本にまとめていくことが仕事、研究の中心となります。
10年に1回ですか!
そんな感じです。 気の長い話ですよね…(笑) ちなみに、2020年に出した本を仕上げる作業は主にビィーゴでやったので「あとがき」で少しふれています。名前は出してませんが…(笑)
なんと! ありがとうございます。光栄です(笑)
井口さんが、特に認知症社会の研究を突き進めていこうと思った動機はなんだったのでしょうか?
一番最初のきっかけは大学の学部時代です。その当時、バイトで身体がだんだん動かなくなっていく神経難病の方の介護をしていました。その人のおうちに行って、夜間ナースコールが鳴ったら痰の吸引をしたり体位を変えてあげたり、そんなことしていたんですけれど、これが凄く大変で2ヶ月ぐらいで挫折しました。
何が大変かっていうと全てが大変だったんですけど(笑) 現場にいて特に感じたのは、みんなイライラして疲れ切っていて、被介護者と家族との「関係」が凄く大変そうだなということでした。
当時はまだ介護保険が始まるちょっと前ぐらいの時代でして、介護を受けている方には「家族の中に閉じていく空気感」というものが凄くありました。
この体験から、被介護者と介護する家族がともに楽になるには一体どういうことが必要なんだろうか?と思うようになって、そこから関心を強く持つようになった感じですね。
「家族の中に閉じていく空気感」というのは例えば、どういったことなのでしょうか。
例えば、普段の生活でも身内で喧嘩をすると、相手のことを偏って見て「もう何言っても駄目」って決めつけちゃう。そこから凝り固まった関係になっちゃいますよね。さらに介護になるとお互いその関係からなかなか逃げられない。だけど他の人の視点が入ると「ちょっと折れるか」って思ったり「他の人から見るとこうも見えるのか」みたいなことがわかってくる。それがわかるだけで関係が結構楽になると思うんですよね。
介護を担っている場合、関係が家族の中だけに閉じていっちゃうことはよくあります。私は実際に現場をみたことで、これって結構大変なことなんだなと実感することが出来ました。
なるほど。確かに身内に客観的になるってなかなか出来ないですよね。そのご家族が障害をネガティブに捉えて暗くなってしまってると考えると…つらい関係性だなぁと感じます。これは確かに介護の現場を体験しないと、なかなか気付けない視点ですね。
はい。
井口さんは大学では最初から社会学を学ばれていたんですか。
私は大学も東京大学だったんですけど、うちの大学というのは、1,2年のうちは学部が決まってないんですよ。大きく「教養学部」という感じになっていて。
最初は広いカテゴリーなんですね。
はい。大学2年時にどこに進みたいのか志望を出して、そこで希望したことで、社会学に進むことになりました。
教養学部に入ろうと思ったきっかけは何かあったんでしょうか?
当時は今よりも18歳人口が多く、受験がもっと激しかった時代でした。何をやるかよりも成績でより高いレベルの学部に行くみたいな空気が今より強かった気がします。なので高校の教員とか周りはなんとなく「法学部はどうだ」「経済学はどうだ」って感じでした。
ただ私は当時、心理学とか文学部系に関心があった。とは言っても、山梨の田舎の学校で「この学部!」 というのがあったわけではなかったので、とりあえず入ってから決められるところに行けばいいかという感じで選びましたね。
学部2年時に社会学を選んだのも、色々出来そうだと思ってのことなんですけど、結局ずっとモラトリアムで(笑) 決めきれずに今に至るというのが正直なところです。
色々されたいという好奇心を多く持ってらっしゃったんですね。
そう言うと聞こえがいいですね(笑)
コロナが始まる前から進んでいたリモートワーク化
では今のお仕事についてお話をお聞きしたいんですが、現在はリモートで授業をされているんですか?
はい。リモートが多いです。
大学の方には通われているんですか?
コロナが始まる前からリモートに近いカタチはとっていたんですけれど、そのときは毎週大学に行ってました。
コロナ禍に入ると多分3ヶ月に1回ぐらいしか行かない感じになって、2020年はほぼ全てリモートでやっていました。2023年の今はだんだん戻ってきて、2週に1回とか、多いときは週に1回ぐらい大学に行っています。
どれくらいの頻度でリモートワークをされてるんですか?
私の研究は、研究室に行く必要があまり無いんです。研究室は、言ってみれば書庫です。なので、コロナ以前から家であるとかカフェであるとかで作業をしていました。
以前、枚方公園の方にもコワーキングスペースがありましたよね。そういうところに行って原稿を書いたり、授業の準備をしたりしていました。コロナに入ってからは更にリモート化が進み、授業とか、会議とかにもリモートワークが加わったっていうイメージです。
じゃあ、結構前から枚方と大学を行き来されていて、コロナ禍でリモートワークが更に進んだ感じなんですね。
そうですね。特に今は子供が小さくて、コロナ前から東京の職場に行くのはだいたい週に2日間でした。なので、枚方にいるときは送り迎えは全部私がやって、平日はこの辺りで仕事してと、そんな感じの生活でしたね。
そうだったんですね。それならコロナになっても、他に比べてスムーズに移行できた感じなんですね。
分野によりますが、研究者はかなりリモートワークに適合出来たんじゃないでしょうか。
ちなみにコロナ禍のときにはフィールドワーク的なことは出来ていたんでしょうか?
ちょうどコロナが始まったとき、私は社会調査実習という授業を担当していて。それが、まさに学生にインタビューなどのフィールドワークをしてもらうという授業だったんです。けどコロナ真っ最中の2020年だったので、実習に行っていいのかが全然わからなくて。そのうち実習どころか大学にすら行くことも厳しくなりました。だからほとんど現地には行けず、リモートでインタビューをしていました。リモートでのノウハウとかがまだよくわからない中だったので、手探りで進めていましたね。
リモート授業の良い面、悪い面。
学生の学び方ってコロナ前と今とでは、何か変化はありましたか?
1年目2年目は、リモートはかなり良いなと思いました。というのも、資料が共有しやすい。あと、ゼミって対面でやっててもなかなか発言が出てこないんですけど、リモートだと、コメントシートを作って「書いといてください」って感じで予め渡しておけるので、それを共有する形でみんなに発言をしてもらうということが出来ました。まんべんなく話が回せるので、1回は必ず喋ってもらえて、何を考えていたのかがよくわかりました。
ただ2年が経って対面が戻りはじめ、実際ゼミで直接会ってやってみると…やっぱ対面も良いなと思いましたね。
何が違うんでしょう?
何でしょうね。なんか対面が戻ってからリモートをすると、上手く間合いが取れなくなっちゃうんですよ(笑) やっぱり直接会ったときの何かがあるのかなっていうのは感じます。
間合いが難しいんですね。
ただ、学生にとっては選択肢が出来たのは良かったなと思います。対面が良い学生もいれば、なかなか体調的、精神的なもので教室に行けない人もいるので。
今はゼミをリモートと対面のハイブリッドでやっています。そうすることで、今までだったら体調が悪くて来れなかった人も参加が出来るっていう選択肢が生まれたので、そこは良かったと思います。
大学院はほとんど留学生。
ちなみにちょっと話がずれるんですけど、東京大学も含めて、いま全体的に留学生がすごく増えていると聞きます。学部や専攻によって全然違うと思うんですが、大学全体の外国人の数って社会学に関してはどれぐらいいますか。
留学生は大学院に多いですね。うちの研究室の場合はですが。学部の場合は「研究生」という形で、外国籍の方が大学受験準備のために入ってきます。基本的には中国、韓国の方が多いと思いますね。最近は韓国の方は日本よりもアメリカに行くことが多くなりましたけれど。けど日本が好きな人は日本に来てくれるという感じですね、留学生の方は。
前に私が勤めていた奈良女子大学の大学院は、年によってはもうほぼ全てが留学生でした。
そこまでですか。日本人で大学院に行く人ってやっぱり少ないんですか?
そうですね。東大の大学院は研究者養成の色が強いので日本人も多いです。ただ研究者志望でない人たちにとっては、大学院の意味はちょっと違って来ます。
例えば中国の方たちは高学歴、学位を取ることが凄く大事で、それが就職に大きく役立ちます。だからモチベーションが高い。でも日本人にとっての大学院は、お金はかかるし、出ても日本の場合はいまだ新卒一括採用が主流で、あんまり意味がない。
だから、研究者を本当に目指す人以外はなかなか来てくれないんですよ。それに大学院に入ったとしても研究者を目指す道は結構厳しいので、そうなってくると、日本人にとってはそれほどメリットが無いんです。寂しいですけどね。
なるほど。将来に漠然とした不安を感じる今のこの風潮では尚更、日本人が大学院に行くという選択肢は選ばれなさそうですね。
でも大学の方では日々の支援金などを設けて、昔よりは金銭的負担を減らす仕組みをつくる努力をしているので、研究に関心がある人はぜひチャレンジして欲しいです!
いつでも、刺激を受けられる場所に身を置く。
では、お仕事をする上で大切にしてることを教えてください。
大学職員は結構、モチベーションを維持するのが大変なんです。
お金そのものは大学からもらってるんですけど、それは何に対してお金が出てるかっていうと、教えたり、会議に出たり、入試に関する業務をやったり、運営したりと、そこに給料が発生しているわけです。じゃあ研究は? って話になるんです。
極端に言っちゃうと、もうほとんど研究していないのに大学で教えているっていう人もいます。実は、大学教員の仕事には研究以外で時間をとられることがたくさんあるので、それは仕方ない面でもあります。でもそんな中で研究を続けるためにはどうすればいいか? ってなったときには、やっぱり常に刺激を受けられる環境を作っておくのが結構大事だなと思っています。
それは自分と同じような研究をしている人との関わりや、この前ビィーゴのトークイベントに参加したこともそうです。自分にすごく関係あることもそうだし、ちょっと違うかもしれないけど面白そうだなってものにも出向く。良いと思ったものにはなるべく参加するとか、外の刺激などに身を置いておくっていうことが結構大事なのかなっていうのは思います。
その点で言えば、コワーキングスペースとの相性は良さそうですね。
そうですね。私はあまり家や研究室では仕事ができないタイプなので、人の目があるとか、ちょっとざわざわしてるところぐらいの方が良いです。そういう意味ではビィーゴは非常に良い感じに使ってますね。
ありがとうごさいます。
では学生に向けて、就活や進むべき道について悩んでいる方にメッセージをお願いします。
一応大学にいる立場、特に社会学の立場から言うとすれば…
役立つこと、すぐ利益が出ること…そういったすぐ結果がわかることってわかりやすいからどうしてもそこに向かって動いちゃうし、そうせざるを得ないこともたくさんあると思うんです。
けれど、いま役立つことっていうのは長期的に見たら、今後は役に立たなくなる可能性っていうのも結構あるんです。
多分、大学で勉強することとか、特に私がやっている人文社会系の学問や社会学の意味っていうのは、いまは「役立つ」と言われてることが、どういう条件のもとで、どういう歴史的背景のもとでなら役立つのか? を学ぶことだと思うんです。
そういうことを、本格的に学ばなくてもいいから、どこかでそういうもんだと知っておきながら世の中を見ることは、とても大事なんじゃないかなって思います。
確かにいま世の中は目まぐるしく変わってますし、そうなると「価値」というものも同じくらい早く変わって来る可能性がありますね。何が急に価値を無くすかわからない。だからこそ、もっと長い時間軸で世の中を見てみる。そうすると、世の中がどう動いてるかとかも見えると。
というのも、それを知らないと、何かで躓いたときにしんどくなっちゃうと思うんです。体を壊したとか、ミスを犯したとか。ちょっとくらい駄目だったときでも「まあそれは、今はそうなだけであって。」っていうぐらいに思って、日々を動いてもらった方がいいだろうなと。
なるほど。社会学っていう分野で学ぶことは、目に見えてすぐ成果が出たり、何か役に立つっていうわけではない。けど長い目でみることで、人生においても、その時々の短絡的な価値ではなく、本当の価値を知る一助になるということですね。
今後の展望
ちなみにいまは准教授でいらっしゃいますが、今後教授になる予定はありますか。
年齢が上がっていけば教授にはなる可能性は高いんですけど、なって何になるかっていうと、要するに管理業務が増えたり、研究の時間が少なくなるっていうだけで、給料がそんなに上がるわけではないんです。大学によって違うかも知れないですけどね。
え、そうなんですか??
なので、そういう肩書きみたいなものよりは、実質的な意義をどうやって仕事から得られるかが大事ですね。例えば私は、年に1回研究仲間と一緒に1冊の冊子を作っています。これは現場の人と研究者が一緒に書ける雑誌を作ろうみたいな感じで2011年から始めたんですね。今年13号が出来たんですけど、例えばこういうものを細々と続けたりとか。あとは今やってる研究を本としてまとめたりとか、そういうのがライフワークですかね。
ちなみに以前なぜか、この冊子の6号がビィーゴの本棚に置いてあって。そんなマニアックなものを誰が持ってきたんだろう?と思って、聞いてみようかなと思ったんですけど、今はもうなくなってしまって。誰でしょうね。これ、採算度外視であんまり売れる雑誌とかではないので(笑)
そうだったんですね、ちょっと探してみます(笑)
現場の方が読まれて、感想をもらったり耳にされたりとかはするんですか?
そうですね。献本という形でいろんなところに送るんですけど、知り合いの人が毎回感想を送ってくれたり、あとはたまにTwitterとかでこれを見て勉強してくれる人もたまにいます。
「研究しててよかったな」とか「何か成果が出たな」って感じる瞬間っていうのはどういうときにありますか?
本を読むことって、だんだん大変になってるきてるじゃないですか。タイパが悪いとか、他に時間を奪われてとか。なので、なかなかこういった昔ながらの発信ではリアクションが得られなくなっています。
ただ、たまにすごい思い悩んでる人が読んでくれて、そんな方がリアクションを返してくれると嬉しいですね。
私がやってるような研究は、例えば理系の研究みたいに何かを発見するとか、そういうタイプのものじゃありません。どちらかっていうと社会のどこかの誰かに何かを伝えられたり、あるいは、書いたものをきっかけにちょっと物の見方を変えてくれたり。そんなことに成果を感じるかなと。
やっぱり現場の人って、さっきのお話にもあるように、ずっとそこにいるとどうしても視野が狭くなってしまう時がありますよね。そういったときに読んでもらって、改めて自分のやってることの意味とか意義を違う視点で感じられたり、使命感を思い出したり。何かそういったものが得られそうですね。
あと実際にリアクションが無かったとしても、やっぱり現場の人って忙しいですから、どうしても「記録をする」という、そういう時間がありませんよね。だから振り返るための素材として、自分たちが調査をしたりしてデータを蓄積していくっていうことがすごい重要だと思っています。そうした作業を最低限、担えればと思います。
それはとても大事ですね。現場の人たちではなかなか手が回らない。けど、絶対知りたいところですよね。それは大事な役割です。
ビィーゴは、自由に行き来ができる場所。
ビィーゴについて少しお聞きしたいんですが、ビィーゴの良いところと反省ポイント。改善してほしいことがあれば教えてください。
良いところはそうですね、最初の頃はドロップインや回数券で利用してたんですけど、その後会員になってやっぱり良いなと思ったのはいつでも行き来できるところですね。私は飽きっぽいので、例えば朝ビィーゴに来て、ちょっと気分が乗らないと思ったら、公園に行ってみて、でまた戻って来たり。自分みたいな働き方にとっては凄く助かります。あと場所も最初は「集中ルーム」を使っていたんですけど、いまはオープンなところで作業していて、開放的なところが多いのも今は気に入っています。
ありがとうございます。
ビィーゴは( )ができる場所と謳っているんですが、井口さんにとってビィーゴは何ができる場所でしょうか?
1人の時間が得られる場所ですね。実は今、自分の頭の中では子育てが中心なんです。なので、家にいるときは家事とか育児をずっとしててる感じで。だから、1人になれる場所のひとつとして、ここは大事ですね。
普段は、お子様を保育園に預けていらっしゃるんですか。
そうですね。だから「熱が出た」って保育園から呼び出しをもらったときはもうすぐに帰れますから、そこは良いですよね。
「福祉」を広い意味で考えてゆく時代
最後に、先日参加された「みんなのオシゴトークVol.4 福祉のミライ」についてなんですが、参加されてどうでしたでしょうか。
面白かったですね。枚方でこんなことをやってる人がいるんだなっていうのも面白かったですし、あと福祉っていうと結構イメージを狭く感じられちゃうんですけど、この前来られたゲストは広い感じでやっていて、それがとっても良いなと思いました。
ボクも企画の準備をし始めたとき、改めて「福祉」って何だ?ってなって調べたんですが、これがわかるようでわからなくて(笑)
ちょっと調べてみると「社会で役立つこと、人に役立つこと」っていう結構ざっくりしたもので、どこからどこが福祉でどこからが福祉じゃないんだ?って思いました。
そうですね。私の専門分野の一つが福祉社会学です。福祉って言葉を英訳すると「ウェルフェア(welfare)」っていう訳が第一なんですけど、「ウェルビーイング(well-being)」とも訳せるんですね。
だから狭い意味での福祉っていうのはいわゆる困っている人に対する福祉制度みたいな話なんですけど、広い意味の福祉となると「幸せ」とか「個人のより良い生活」とか、そこまで広がる感じなんです。
まさに福祉の「福」の部分ですよね。ただ何かちょっとトラブルを抱えた人たちのケアとかっていう範囲だけではなくて。そこの視点が大事です。
福祉の「福」。なるほど、広い意味でとらえていないと他人事にしてしまって関心を持つきっかけも失われますし、「福」を考えることは誰にとっても大事ですね。ありがとうございます。
ちなみに認知症に関してですが、ここまで研究をされて、みんなにもっとどういう点を知ってもらいたいでしょうか?
そうですね。いま多分認知症っていうと、ほとんどの人がまず第一に思い浮かべるのは「予防」なんですよ。なりたくないっていう話で。
ただ、いま認知症当事者の人や新しいまちづくりの取り組みをしている人たちは、予防じゃなくて、認知症になっても幸せに生きられる社会をつくろうと考えています。
認知症になっても、ちゃんと社会に関わっていられるようにしようということですか。
そうです。結局、認知症っていうのがこれだけ問題になるのは、社会の仕組みが「認知能力」を中心に組み立てられてるからなんですね。だから、そこを変えられるかがすごくポイントになってきます。
認知症って病気と捉えられますけど、高齢化に伴う自然な衰えだととらえると、大体みんな認知症になってくるんです。だからそこに合わせるような仕組みをいかに作るかっていうことが大事なんだと思います。
それは介護だけの問題じゃなくて。たとえば今日も郵便局で、高齢の方が印鑑のある場所を忘れちゃったみたいで、ずっと職員の方とやりとりして頑張ってたんですけど、そういうことを解消するような仕組み。金融もそうだし交通の仕組みとか、その辺も含めた課題があるということですね。
ますます進む高齢化と、それに伴って増える認知症の方。それを排除したり、隔離するっていう形じゃなく、どう社会と関わっていくかっていうことをこれからもっと考えていかないといけないですね。
テレビで見たんですが、以前なら精神病棟に押し込まれていたような方たちも、治療の一環で田舎の方で開放的に農作業をするという試みをしていて、それでずいぶんと回復してきたっていうのを知りました。
やっぱり認知症になっても、いち人間。切り離さず、役割を持ってずっと社会と関われるような仕組みを考えていかないといけないですね。
社会学って、広い視野を持ちながらも、繊細にアプローチしていく研究なんだなと今日は知りました。たしかに人文学的でもあるなと。
本当に広いんです。データサイエンスや計量的なことをやってる人もいれば、本当に文学っぽいこととかもやってるので、両方できるという魅力がありますね。
高校時代に感じた魅力っていうのは、そういうところにあったのかも知れません。
数学も好きだったし、国語や歴史も好きだった。文理両方とも組み合わせたところを求めていたのかもしれませんね。
なるほど。やっぱり色々とされたい方なんですね(笑)
今日はどうもありがとうございました!
ありがとうございました(笑)
井口さんのプロフィール
井口 高志
社会学者・大学教員。大学院博士課程修了後、東京を離れ松本の大学で勤務。2011年に奈良県の大学への異動を機に関西に移り住む。奈良市、大阪市での居住を経て2018年から枚方市在住。同時に2018年後半から東京への遠距離通勤となり、育児をしながら主にリモートで仕事をしている。