中小企業診断士 星山直樹さんに聞く「仕事と人への向き合い方」【ビィーゴ会員様インタビュー】
こんにちは。ビィーゴ コミュニティマネージャーのアサカワミトです。
ビィーゴインタビュー第29回目のゲストは、中小企業診断士 経営コンサルタントの星山直樹さんです。
星山さんは、長年にわたり某大手電機メーカーに勤務し、数々のプロジェクトの立ち上げやマネジメントに携わってきました。そのうち計14年間は海外での勤務でした。
さまざまな人種や言語、文化の違いに向き合いながら、多様なメンバーをまとめてプロジェクトを前に進めてきた星山さん。
今回は、そんな星山さんの海外勤務でのエピソードや、独立した経緯、そして多様な現場によって培われきた仕事と人への向き合い方についてたっぷりお聞きしました。

星山 直樹
<インタビュアー・記事>:アサカワ ミト(ビィーゴ コミュニティマネージャー)
「中小企業診断士」とは?


本日はお時間いただきありがとうございます。ではまず簡単な自己紹介として、お名前とご職業を教えてください。

星山直樹と申します。職業は中小企業診断士をしております。といっても独立したばかりなんですが。

独立されたタイミングで、ビィーゴ会員になられたということですね。

そうですね。半年ほどになります。中小企業診断士として経営コンサルや、セミナー講師もしていこうと思っております。


基本的なところからお聞きしたいんですが、まず中小企業診断士というのはどんなお仕事なのでしょうか?

中小企業診断士は、中小企業に向けて経営課題の解決支援をしています。具体的には、収益改善、業務改善、財務分析、営業、マーケティングなどですね。とにかくありとあらゆる中小企業さんのお困り事を、一緒になって考え、解決していこうといった仕事になります。

どういった感じでお仕事をされているんでしょうか。

基本的な仕事の流れとしては、まず最初に事前情報——例えば3年分の決算書をいただくんですけども、その決算書を私の持つフォーマットに落とし込んで、基本的な分析をして状況を理解します。
そうすると、多分ここが課題だろうなーというのが見えてくるので、それを踏まえてヒアリングをしていきます。社長さんの困り事を聞いたり、事前に分析してきた資料や課題をあててみて、どういうリアクションをするのかと、そういったことをしています。

なるほど。まさに“診断士”。お医者さんが診察、診断するように企業の課題などを見つけて、良くしていくためのお仕事なんですね。よくわかりました。
経験を活かしつつ、もっと幅広い世界を見るために独立


独立に至るまでの経緯やこれまでのご職歴について教えていただけますでしょうか。

前職はパナソニックで働いておりました。そこで約33年間勤務をしまして、その間、海外赴任もしました。

そうなんですね。どれくらいの期間、海外でお仕事を?

14年くらいですね。事業企画やマーケティングを担当しておりました。最終的には早期退職をして独立をしました。


じゃあお仕事の中で、中小企業診断士の資格を取得された感じですか。

それが少し違いまして。私は2016年~21年の終わり頃まで、約5年間アメリカに赴任していたんですけれども、途中でコロナウィルスによるパンデミックが発生しまして。それによって在宅勤務に切り替わって、時間ができたんです。そこで以前から中小企業診断士の資格の取得をしたいなと思っていたので、そのタイミングで勉強を始めました。

アメリカでロックダウンに遭っていたんですね。

言い方は良くないかもしれませんが、私にはちょうどいいタイミングでした。年齢的にもセカンドキャリアをどうしようかと考えていた時期でしたし、これは自分の力を蓄える時だなと思って勉強を始めましたね。


退職して、独立されるきっかけとなった出来事は何かあったのでしょうか?

きっかけというよりは、以前から思っていましたね。
同じ会社に30年以上働いていると、やっぱり違うこともやってみたくなるんです。部署や場所は色々変わりましたが、やっぱり会社の外に出て、他の世界も見てみたい。外に出て、色々と違う角度で物事を見てみたいという思いが膨らんでいきましたね。

そこは転職ではなく、独立という選択肢でしたか。

もちろん再就職も考えたんですけれど、せっかく中小企業診断士の資格も取ったし、それをちゃんと活かす良いチャンスだと思ったので、思い切って独立を選びました。
意外と思い切ってやっちゃうタイプなので、実を言うとそこまで深く考えたわけではないんです(笑)
「日本の常識」が通用しなかった現場


14年間海外勤務をされたとおっしゃいましたが、5年間のアメリカ勤務以外にはどちらに?

9年間がドイツでした。1989年あたりに27歳の時に赴任をしました。普通は5年で日本に帰って来れるはずなんですけど、その頃当時の社長が交代して「お前もうちょっといろ」ってなって。それから2年ぐらい経った時にまた社長が代わって、更に「もうちょっといてくれ」ってなって。それで長くなっちゃったんです。

それで9年ですか!長い(笑) 海外ではどういったお仕事をされていたんでしょうか?

ドイツでは、電子部品事業の欧州本社にあたる拠点へ、企画担当として赴任しました。当時のドイツは日本と同様に人件費が非常に高くなっていて、このままドイツ国内で物づくりを続けるのは難しい状況でした。そこで、人件費の安い国へ生産拠点を移す必要がある、という判断がなされました。
その頃というのは、ベルリンの壁が崩壊してから10年経たない時期でして。東西に分かれていたドイツが統一され、東側が解放されたことで、チェコやスロバキアなどの国々に生産を外部委託、あるいは新たな製造拠点を設ける動きが進みました。
その流れの中で、ドイツを本社として、スロバキアに製造会社を設立するプロジェクトが立ち上がり、私はその立ち上げを担当したんです。それが4〜5年くらいですね。


重要な役割を担っていたんですね。大変でしたか?

立場としては経営層と日本側との橋渡し役に近かったと思います。文化や仕事の進め方があまりにも違うので、日本人が行ってすぐに仕事ができるような場所ではありませんでした。
ドイツ側のメンバーや現地のリーダーと一緒に仕事をしていくことで、単なる調整役ではなく、一人の仲間として受け入れてもらいながら共に仕事を進めることができたことは、私にとって非常に貴重で良い経験になっています。

14年の海外勤務の中でも、特に印象に残っている現場やエピソードはなんですか?

一番はアメリカにいた時ですね。そこではプログラムマネジメントという仕事をしていました。
そのプロジェクトでは、企業から車のとある部分のスイッチを作ってほしいと言われまして。車がリリースされるまでの1年半〜2年間、着実に開発して製造準備をしていかないといけないんですが、そこに関わる技術、品質管理、購買、製造など、それぞれのメンバーを全部まとめる役割というのをしていました。これは大変でした。


どういった点で大変でしたか?

例えば、設計は日本、ソフトウェアはインド系、品質管理と営業はアメリカ、実際作るのはメキシコ、みたいに4~5ヶ国語の異なる人種の人たちが、働く時間もバラバラな中で1つのチームとして進めなければいけませんでした。

なるほど。国を跨ぐ仕事となると、会議などの時に時間の調整が大変になるんですね…!言葉の壁はどうでしたか?

みんな英語を喋ってはいたんですが、全員がネイティブじゃないんで。日本人は片言の英語で、メキシコ人はちょっとラテンぽい感じの訛りがあって、そしてインド英語ってのがまた独特で(笑)そんな調子で耳をずっとチューニングしないといけなくて。
そんな中で全然ネイティブでもない日本人の私がリーダーに近いポジションを担当させてもらうっていうのは、楽しくもありましたが、非常に強烈で、正直かなりのプレッシャーがありました。


いやー、それはややこしい(笑) 働き方も違いましたか?

そうですね。基本的に皆さん、個人主義とまでは言わないんですけど、自分の領域を担当するだけ、全体のことを考えて動いてくれる人はほとんどいなかったんですね。もちろんアドバイスをいただいたりはありましたけど、代わりにやってくれるとか、そういうのはなかったです(笑)

働き方やスタンスが違うんですね。文化の壁も感じられましたか?

色々とありましたが、一番大きかった違いは「これは分かるでしょう」というような、なんとなくのお願いや要望はもう全然通用しないです。はっきりと明確に、やって欲しいこと、やるべきことを伝える必要がありましたね。
なぜそれやらないといけないの? やらないとどうなるの? ていうことを、論理的に説明してあげないと動かない。ただ「やれ」って言っただけではダメで、そこまで言って納得してもらわないと動きませんでしたね。


なるほど。でもそれは身につけば日本でも大いに役立つ気がしますね(笑)

はい、非常に鍛えられました(笑)
ちなみにアメリカとドイツでも文化の違いを感じましたね。

言われてみれば、全然違う国ですもんね。どう違いましたか?


アメリカ人はとにかく喋るやつが強いです。喋らないってことは、そもそも戦いに参加してないっていうことになっちゃうんで。
なので論理的かつ上手いプレゼンが出来る人っていうのは、アメリカでは会社の中でも外でも非常に高く評価される傾向にあると感じましたね。

へぇー、そこまでですか!

一方ドイツはね、議論好きなんです。とにかく常に何か議論している感じ。納得するまでは上司だろうが何だろうが全く動かない。でも一度納得をしたら、任せられるんです。ただ最初動き出すまでがとにかく長い(笑)

これはなかなか聞けそうで聞けない国民性を感じるエピソードですね。ただ、聞くと不思議と「あーっ、ぽいなぁ」って思います(笑)
「好奇心」を持つことで歩み寄ることができる


そんな様々な経験をされてきた星山さんですが、お仕事をする上で大切にしていることを教えてください。

私が初めて海外赴任をしたときに、現地の社長——日本人ですが、その方から海外や文化的背景の異なる人たちと仕事をするうえで大切な「三つのポイント」を教えてもらいました。
このアドバイスは非常に腹落ちするもので、座右の銘というほどではありませんが、今でも常に大切にしている考え方です。
一つ目は、「好奇心を持ち続けること」。やっぱり好奇心によって仕事へのモチベーションや熱意につながりますので、一番大切なことだと感じています。
二つ目は、「論理的であること」です。先ほども話しましたが、周りが納得しないと、物事が進まないんですよね。なので、論理的であることを常に心に持ちながら仕事をしています。
三つ目は、「自分に合った気分転換の方法を持つこと」です。これは私なりに言い換えると「良い仕事をするためには、常に心の余裕が必要だ」ということだと思っております。
この三つは、海外での仕事に限らず、どんな環境でも非常に大切なことだと思い、今も日々の仕事の中で常に心がけています。


論理的であることは先ほどお聞きしましたが、一つ目の「好奇心を持ち続ける」これはやっぱり大事ですか。

めちゃくちゃ大事ですね。
例えばその国の言葉とか食べ物に興味を持っておくと、現地に行った時に国の人たちがちょっと心を開いてくれるんですよ。やっぱり常に相手に対して、どんな人なのか、どんな国なのか、何のためにやってるのかっていうことに好奇心を持たないといけないなと思いますね。

そうですよね。日本人でも、日本の文化が大好きな外国人にはやっぱり好感持ちます。そういうテレビ番組はずっと人気ですし(笑)

で多分ね、嫌いよりも「興味ない」っていう言葉が一番冷たいと思うんですよ。
“嫌い”っていうのはまだ一度興味を持った上での“嫌い”なわけですよね。だけど興味ないって相手に伝わっちゃうと、もう動かない。関係が全く構築されなくなりますよ。だから会話の中でも「興味ない」って言葉は一切使わないようにしてますね。


それはめちゃくちゃ大事ですね。

国が違ったり、文化が違っても人間関係のコアな部分ってのはあんまり変わらなくて。
歩み寄りにはやっぱりきっかけがいるんです。そのきっかけとして、好奇心ってのは非常に大事です。好奇心もないのに相手と友達になろうって言っても多分難しいと思いますよ。
これはあなたの国ではどうするの?だとか、ちょっとしたことで興味持つと良いコミュニケーションになりますよね。

確かにボクもインタビューをする際は、自分の好奇心をくすぐる要素を探して、それを少し深掘るように相手に聞きますね。それをするとしないとでは、空気が全然変わります。

海外での気分転換


ところで、海外赴任をされていた時はどういった気分転換をされてましたか?

昔はインターネットもなかったので、当時お付き合いしていた方によく国際電話を掛けました。ただ国際電話ってめちゃくちゃ高いんですよね。なのでちょっと安くなるっていう特別な電話番号があって、それで日本に電話したりして。

ああ、ありましたねー! 頭に「0061」をつけるやつとかですよね?

そう、そう、そう、そう!
それでも、月の電話代が5万とか7万とか掛かったりしましたね。


7万!? それはえげつない(笑)

他にも気分転換になったのは、日本の小説。もうその頃は活字中毒でしたね。
宮本輝は『ドナウの旅人』をはじめ全部読んだし、宮部みゆきも全部読みました。他にも乃南アサとか。とにかくもうその頃は日に1〜2冊ペースで読んでましたね。1年目は現地に友達もいなかったので、それが気晴らしでした。
その後は、駐在している同年代の日本人や現地の友達もできたので、夜飲みに行ったりもしていましたが。

日本に戻られてからはどんな気分転換をされていますか?

高校生からずっとギターを弾いていて。会社に入った頃は独身寮に入りまして、その寮ではバンドをやっているメンバーが多かったもんですから、そこでバンドを組んで、それが今もずっと続いています。

そんな前からですか!解散することなく?

そうですね。私が長らく海外に行っていたり、他のメンバーも国内間で転勤になったりしてなかなか全員が大阪に揃いませんでしたが、それでも解散することなく続きまして。
でも久しぶりに集まると「この曲、どんなコードで弾いてたっけ?」とか、曲を思い出すのに時間がかかったり(笑)
最近はみんな大阪に戻ってきたので、活動のペースも上がっています。2025年で6回ほどライブを行いましたね。もちろん2026年もバリバリやりますよ。

いいですね!

ビィーゴの利用について


ビィーゴは普段どんな感じで使われているんですか?

クライアントに向けた資料作成や、集中して作業したい時、あとは資格勉強でも使っています。

他にも資格を取得されようとしているんですか?

例えば事業承継士という資格だとか、中小企業診断士の仕事に役立つような資格をいま勉強し始めていますね。
あとは先日、ビィーゴ忘年会に参加させていただいたんですけど、やっぱり自分と背景の異なる色んな方と話をするって良い刺激になるんで、そういうビィーゴのイベントにときどき参加するのも楽しいです。



今後、ビィーゴでこんなことをしてみたいということはありますでしょうか?

冒頭でも言いましたが、今後はセミナーを少しずつやっていきたいと思っています。

いいですね。星山さんのようにセカンドキャリアを考えて早期退職される方も結構いらっしゃると思いますし、そういった方たちに向けていろんなお話やアドバイスが出来そうですよね。

そうですね。セカンドキャリアに限らず、これから就活する人や学生さんに向けても話せることが多いかと思いますが、自分のキャリアを振り返ってみた時に、自分の力として残ってるものって何かな?って考えると、失敗を通じて学んだこと、あとはコツコツとなんとか色々やりながら継続できたこと、基本的にはこれしか残らないんです。


「失敗」「コツコツ」って今の世の中では一番敬遠されがちですよね。

そう、でも残るものって結局そこなんですよ。色々経験しましたけど、それだって大して残らないんですよ。
そして経験上もうひとつ言えるのは、思い通りに進むことなんてほとんどないということですね。自分の経験から見ても大体なにか壁にぶつかったりして、8割ぐらいは思い通りになりません。そういうものなんです。

それをわかってると、わかってないとでは生きるたくましさみたいなものが大きく変わっていきそうですね。

そういった本質的なこと踏まえた上で、伝えられることが三つあると思います。
一つ目は、やりたいことがある場合はいろんな角度からそれを見てみるっていうことがまず大事ですと。5W1H、あるいは5W2Hっていう見方があると思うんですけど、それがまず非常に大事です。
二つ目は、その上でやりたいことや興味があることはもう思い切ってやってみること。やらない後悔よりも、やって失敗する経験をした方が、得だと思うんですよね。なんせ失敗したことからしか本当に学べるものはないんで。特に若い人は本当にどんどん失敗を経験すべきだと思います。これが2点目です。
三つ目は、やってみてこれいけるなって思ったことは、続けていくべきだと思いますし、続けてくためには、やっぱりルーティン化。そのルーティン化のための工夫をするっていうのが大事かなという風に思います。この3点ですね。


シンプルだけど奥深いですね。今後それをテーマにしたセミナーを実現させたいですね。ビィーゴでもお手伝いします!

ぜひ、よろしくお願いします。
今後の目標


じゃあ最後に今後の展望を教えてください。

まだ中小企業診断士、経営コンサルタントとしては駆け出しの状態なので、セミナー経験や場数を増やしていくことで地元を中心に知ってもらえたり、ネットワークを拡げられたらと思っています。
あとは自己研鑽。
今まで経験してきたことや、資格を取っただけじゃやれることって限られているんです。対応できる範疇を広げていく努力はしていかないといけないので、いろんな研修、資格の取得、勉強ですね。そういった自己研鑽は継続してやっていきます。

ビィーゴでは資格勉強で利用されている方も多くいます。そんな方達が集まって資格勉強オフ会というのも開催していて、そこでモチベーションを高めあったり、情報交換などをいるので、星山さんにもぜひご参加いただけたら嬉しいです。まずはゲスト講師で(笑)

私でよければ(笑)

ぜひ(笑) それでは、今日はどうもありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

編集後記

海外勤務のお話では、それぞれの国での働き方に対する姿勢の違いなど、とっても興味深いお話が聞けました。
それと同時に、海外の方に限らず、これからは同じ日本人に対しても“論理的に説明する姿勢”というのは大事にした方が良いなと感じました。
星山さんには、今後ビィーゴでもプチセミナーなどでお話していただこうと思っていますので、お楽しみに!
── 星山さん、素敵なお話をありがとうございました。









